Mercedes's Diary -5ページ目

かぶ菜と座禅坊主ハ 座るを よしとす  仙がい和尚さんの絵

仙がい



                                                        

                                     仙がい



仙がい



                                       仙がい



仙がい



                                     仙がい



仙がい



                                     仙がい



                                     仙がい



仙がい



説明もなく、申し訳ありません。

いつかゆっくりした時に書きたいと思っていたのですが、先程急に書きたくなってしまいました。

しかし絵をフォルダに入れている時眠気に襲われ、タイトルも居れずにフォルダに収める始末。

再度、時間をとってゆっくり書きたいと思います。

まだ載せたい絵もあります。今回はこの10枚。

仙がいの絵はギルバートが好きでした。

英語で道を聞く イン パリ!

Paris

 先程世界のニュースを聞いていて驚きました。

数年後のオリンピック地に立候補する事を決めているパリ。

しかしフランスのオリンピック開催誘致に力を入れている連中は「待てよ、大丈夫だろうか?」と心配に思っている事があるというのです。

そこである調査が行われ、こんな結果が出て、心配している連中をもっと不安に陥れたのです。

ーフランス人の53(だったと思う、58だったかも知れない)%の人が英語を話せないー


実際、恐らくパリだろうと思われる場所で、レポーターが英語が話せるか、学生風の人に聞きました。

「もちろん、僕はパイロットを目指しているんだよ」

そこでレオーターが”幾らですか?”は英語でなんと言うか聞くと

「あ、えーっと・・・・・・・・・・・・」

別も長髪の若者に”今、何時ですか?”は英語でなんと言うか聞くと

「What time is .........」

最後には英語しか話せない客を装いレポーターがギャルソンに英語で飲み物をオーダーすると

若いギャルソンは全く英語が理解できず、最後にはフランス語で

「メニューをお持ちします」

と言い残して店の中へ入って行ったのです。


私がパリに行ったのは10年前。

私はフランス語の”メルシー”だけしかフランス語は使いませんでした。

すべて英語で会話をしました。

フランス語が話せない私は、無い知恵を絞り、ある事を実行しました。


 道を聞く時は、薬屋さん、本屋さん、そして ケーキ or パン屋さん。

 なぜかこれが上手く行きました。


理由は薬剤師さんは、きっと勉強一杯しただろう、

本屋さんは、きっとフランス語以外の本にも興味が出て英語の本も読んだだろう、

ケーキ or パン屋さんは、初めに聞いた時に英語を話してくれたから。

「地球の歩き方」には書いていない事です。でも幸いに上手く行きました。


しかし1995年から何年か後にフランス政府はある取り決めを実施しました。

それは街の看板から英語を取り外し、”我々の言葉、フランス語を使おう”。


もちろんそれが現在の状態を生み出したのかどうかは分かりません。(恐らく無関係と思います)

しかし、薬屋さん、本屋さんは、私にも聞き取れる英語をあの当時、話してくれました。

ケーキ屋さんでは若いお嬢さんが、お店の外まで出て道を教えてくれました。

自分の英語に自信がないのかなぁ・・と思いましたが、それでも私には十分理解できる英語でした。

ギルバートが言っていた様に、フランス語を話せないと冷たく扱われる事もあるようです。

ユースに泊まった時そんな話も聞きました。

それでも私はパリに到着して最初の夜に泊まったホテルでは嫌な思いもしましたが

それ以後は英語を話して道を聞いて、不愉快な思いはしませんでした。


 ドゴール空港に空港に着いてパスでパリに行くのですが

その時の事はいづれまた書きたいと思っています。

今日は パリで英語を使って歩こう” を実行した私の経験を書きました。

フランス政府は心配している様ですが、きっと、きっと大丈夫!

と、思う私は 「所詮よその国の話」 と思っているからかも、しれませんね。 (^-^)

作品 No 1138

                             ヨーダ


                                                   FORTH



                           R2-D2


                                               PI  PO  PI  PI



                           ダース・ベーダー


                                         THIS IS CNN NEWS

彼への想い

              George Lucas

 私は彼の作品「アメリカン・グラフィティー」を見て、すっかりこの映画の虜になり、彼のファンになりました。

この場合、劇場公開された、と付け加えるべきかな。かなり昔の話です、いつものごとく。

その後 彼の次回作が公開された、「スター・ウォーズ」。

私はこの作品を見た日の日記にこう書きました。

  - 「スター・ウォーズ」への熱い想いはもう誰にも止められない -


しかし、その熱い想いがいつしか翳りを見せ始めるのです。自分でも認めたくはないけれど。

それでも最終作を見て、改めて彼への想いが熱くなって来た私です。


昨夜 劇場に置いてあった号外風の新聞に こう書書いてありました。

  ルーカス監督が脚本執筆を公開して34年。

  「スター・ウォーズ」は、エピソード4に当たる第一作が77年に(日本では78年)公開されて以来

  常に”映像革命”の先駆者となってきた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  あらゆる娯楽のエッセンスを盛り込み、この後のSF映画の流れを作った功績は計り知れない。


私はこの記事を読んで、ある自分のつぶやきを思い出しました。

「2001年 宇宙の旅」がリバイバルで劇場公開された事があって、私は胸を弾ませて見に出掛けました。

そして見ていて思いました。

「私はもう「スター・ウォーズ」を見た世代だから驚かないけれど、初めて劇場公開された当時は

みんなこの映像に驚いただろうな・・・・・」


このつぶやきが昨夜読んだ新聞の記事の裏づけになる気がしました。(どうかなぁ・・・)


以前ルーカスは「映画を作るのはとっても大変だからもう作りたくないよ」と笑いながら冗談を言ったそうです。

真意の程は分かりませんが、それでも構わない、と今私は思っています。

昨夜の私のつぶやきは彼に一言 ”ありがとう” でした。

衝動買い

ヨーダ

 6月25日夜9時から ご覧になられた方もいらっしゃると思います。

 ご覧になれなかった方もいらっしゃると思います。


 だから 何も 書きません。


 ただ・・・・・・・・


 私は これを 買って しまいました。

ドイツ語の映画

アギーレ/神の怒り

 今朝ドイツ人の友人から電話が入った。

「夏休み、遊びに来ない?」

彼は今の私の状況を知らない。彼は今、黒い森近辺の市立高校で数学を教えている。

私は事情を説明すると

「じゃ春に来れば良かったのに」

しかし、私が彼に電話を入れた時は、彼はすでにフランスへスキーする為に準備をしていた。


 ちょうど10年前彼は私のアパートに2週間滞在した。

私は神社やお寺が見たい彼を自転車で案内して回った。

夜はギルバートとお酒を飲んで、話を弾ませていたが、3,4日で話も尽きる。

私達は何か彼が楽しめるものはないか、考えた。

そして思いついたのが、ドイツ語の映画だった。

私達がお互いに思いついたのが「アギーレ/神の怒り」だった。(お互いこの映画が好きな事もあって)

早速お昼過ぎから3人で見始めた。

ギルバートと私はこの映画を見ると、いつも同じ事を話す。

「初めのシーンはどうやって撮ったんだろう?」

「幾らお金積まれても、いかだ でなんか、私あんな激流渡らないからね!」などなど・・・。


映画を見終わってドイツ人の友人は言った。

「ありがとう」


私達は翌日、彼を近所のビデオ屋さんへ連れて行った。

彼が選んだ映画は「フォー・ウエディング」だった。しかも彼は言った。

「これ、1度見たけれど可笑しくってね、もう一度見たい」


私達は、どんだドジをしでかしたわけだった・・・・・。ほとんど”拷問”・・・・・。


ヘルツォークの映画についてはこんな事もあった。

私が近くBSで「カスパー・ハウザーの謎」が放映される事を知り、ギルバートに言った。

「私一応留守録するけれど、もし見られたら見て。面白いから」

放映の当日は2人とも帰りが遅くなり、ビデオは週末にでも見ることにした。

そして週末を迎える前に私達は大喧嘩をした。

ギルバートはケンカを始めると、10分ほどは付き合ってくれるが、後は”無言”に徹する。

そして本を読み始めるか、暗くしてさっさと寝てしまうか、ひたすら私を無視する作戦。

しかしその日彼は、数日前に録画した「カスパー・ハウザーの謎」を見始めた。

私は彼に近づき、落ち着いた声で言った。

「この映画はとっても面白い映画だから、こんなケンカして、気分がムシャクシャしている時に見ないで」

ギルバートはビデオを止めて、テレビを消して眠りについた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」---なんで今日はそんなに素直なのよ?---



ギルバートはオペラが好きだった事もあって「フィッツカラルド」が好きだった。

今朝、ドイツ人の友人からの電話で、こんな昔の事を思い出した。

皆様のサポートに感謝をこめて

仙がい

 お陰様で先程 面接した会社から採用の電話通知を受けました。

今回の皆様の応援、本当に嬉しく思っておりました。

心から、感謝を申し上げます。

どうもありがとうございました。


 7月1日からの勤務開始となります。

新しい仕事に向け、初日に向け、少しでも勉強をしたいと考えております。

人にはいつも「がんばって仕事しないでねー!」と言いますが

がんばります!


もう一度、ご声援ありがとうございました。


ちなみにこの絵は私が大好きな和尚さん、仙がい が書いた絵です。

食欲についての私的思い

ice cream

 「ハイ、これがお薬ですね。この先ずーとこれだけ飲んでいれば、あとは何も食べる必要はないからね」と医者が言う。

 患者は答える「分かりました。どうもありがとうございます」


 たとえば病院の診察室で、この様な会話が本当に交わされる事はまずないと思うけれど

私を相手に医者がこの様な提案をしたら、私は上記の患者の様に答えるかも知れないなぁ・・・と思います。

私にはあまり食に関心がない。(早死にする気が、だからする)

先月までのアメリカでの2ヶ月間。

帰って来た私を見た姉の第一声は「また、痩せて帰って来て!」

友人達に会いはじめると、「2ヶ月もアメリカにいたのに、どうしたらそんなに痩せられるんだ!」と口々に言う。

私は答える「ちゃんと食べてたのよ・・・・・」


 ダイエットをなさっている方には嫌味な話に聞えるかも知れないけれど、これは仕方がないのです。

アメリカにいて唯一恋しかったものは 美味しい蕎麦 で、他はほとんど思いつきませんでした。


 私には一度にたくさん食べられない、という問題があります。

この事でよく友人に笑われました。

夕食を外でして、食べきれないものを、友人がきれいに食べてくれるーー

帰宅すると私は冷蔵庫を開けて何かを食べるものを探すーー

友人はあきれて笑い出すーー

まるで子供の様ですが、私には、かなり深刻な悩みなんですよね、これが。


 仕事をしている時、朝6時に起きて朝食を取る。でもせいぜいご飯一膳と豆乳。

しかし9時を過ぎると空腹感を感じるーー

1時の食事の時は、空腹すぎて、食事は入らないーー

それでも何とか少し食べる。あまり食べると気分が悪くなるーー

4時になると空腹でふらふら状態ーー

ある時期までの私が仕事をしていた時の胃腸関連状況。

その後、朝食を和食からトースト&バターにし、

空腹時にバナナを食べる様にして(ツール・ド・フランスを見てアイディア盗む、バナナを一口大にしてラップで包む)

豆乳、サポート・フード(ジェリー状)を職場に持参

上司の許可を取ってそれらをこっそり食べて仕事を続けてきました。


 しかし、痩せている私にもややぽっちゃりした頃があったのです。

仕事から帰宅し、椅子に座るのにデニムのパンツが窮屈になってきた。

さて、サイズの大きい物を買うか、ダイエットをするか悩んでいると

ある日職場の男性が話しているのが聞えた。

「女の人は『ダイエットしてるの』とよく言うけれど、見てるとよく食べているよねー。痩せたけりゃ食べなきゃいいのにさ」

翌日から私は1日1000カロリーのダイエットを始めました。でもカロリー計算は面倒じゃないですか!

そこで選んだものが、カロリーメート。バー1本100カロリー。1日10本食べました。

それを大好きなアールグレイでのんで、朝に豆乳を飲む約2ヶ月。

私は4キロ体重を落として、その時点でダイエット終了。

これがダイエットをなさっている方に、何か約に立てば良いのですが・・・・。

女性の友人達はみんな言います「それ、あなただから出来るのよ」ハイ、ハイ。私もそう思います。

2ヶ月もひたすらカロリーメートを食べ続けるなんてね・・・・・。


今、私は夕食の後、1時間ほどしてアイスクリームを2個食べる様にしています。

高カロリー、高たんぱく。1ヵ月後には1キロは太っていると期待をしています。


さて、今日はバーゲンのアイスクリームを買い込みに行かなくては。

昨夜のアイスクリームが先日買い込んだアイスクリームの最後の2個だったから・・・・・。

英語で俳句

                                            waves break on soft sand

                                             slowly eroding the land

                                              as days do our lives




                                            scattering in the wind cherry petals

                                            such vivid blossoms, just yesterday

                                           .......so were my dreams





                                            dewdrop on grass blade

                                            glistens in the morning, gone by noon

                                            so like life





                                            secretly in love

                                            waiting at the staircase

                                            for him to pass by





                                           surrounded by noise

                                           voices familiar names known

                                           quietness invades




これらは数年前にある新聞に載っていた5人の外国の方々が詠んだ俳句です。

59回トニー賞授賞式

 3回目の司会と言う事でヒュー・ジャックマンが登場と思いきや、ビリー・クリスタルが登場して場内がすでに爆笑。彼は普通に司会を始める。まるでアカデミー賞の授賞式のように。しかしやがてヒューが現れジャックマンの歌と踊りが十分に楽しめる。私は彼が歌えて踊れる事を知らなかった。素晴らしい発見!

 6月5日の式らしいが、「Before Sunset」のイーサン・ホーィが登場したが、以前の私の持つイメージに戻っていたので驚き。あの映画の彼は本当に ”哀れなわびしい男” だった。

 リーブ・シュライバーが助演賞を受賞。(確かそうだった) 

”この人、どこかで見たなー?” と考えていると思い出した。「ケイト&レオポルド」のケイトの元恋人、タイムトリップをする為の時空の裂け目を見つけるするチャーリーだ!と思い出す。(この映画の邦題は「ニューヨークの恋人」でしたね、たしか)

 ジョン・クライヤーを久々に見た。始めて彼を見たのはモリー・リングウォルドの映画。「プリティー・イン・ピンク」

彼はモリーが好きで、ストーカーのごとく彼女に電話をかけ、後をつけ、父親に彼女への愛をうちあけ・・・。

しかし当の本人には打ち明け切れない、何処か憎めない男の子を演じ、私の記憶に今も残っている。


 この日一番の喜びはやはりヒュージャクマンが歌え踊れる事が分かったこと。

ユアン・マクッレガーが歌えたのを知った時とは少し違うが、これはやはりステキな事。彼が歌って踊る映画が早く見たい。そういえば、ミニー・ドライバーが歌える事も知らなかった。

クリスに聞くと、イギリスでは彼女はとても人気の女優とか。知らなかった・・・・・・。

こういう情報を若い頃の様に収集出来なくなった私は、いよいよ退屈なオバサンになりつつあるのだろう。

あ~ぁ・・・・・。